不本意な穢れ

Utekido
Apr 29, 2021

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画像:生理痛

高校のときに隣の席の子が、休み時間に机に突っ伏し、苦悶の表情でこちらを見やり「ナプキン…ある…?」と絞り出した。わたしは血だらけが常な生理貧困型だったので、当然持っていなかった。保健室でもらってくるねと走った。保健の先生に「すみません、ナプキン頂けますか」ときくと、先生は黙って1枚差し出してきた。ありがとうございます、と部屋を出ようとしたら、「もう高校生なんだから、そのくらい自分で管理なさいね。持ってないのは恥ずかしいよ」と偉そうに冷たく言い放った。わたしは言葉もなくドアをぴしゃりと閉めた。嫌な奴だな。同級生が自分で来なくて本当によかったと思った。

生理がいつ来るか、血がどのくらい出るかなんて高校生くらいじゃまだ安定してないし、ナプキンに対して「そんなもん要らない」と予算を割いてもらえない子だって少なくない。そこで思春期の子たちの尊厳を守り、無駄に傷付かないよう導くのが《先生》ってものじゃないの?と疑問がぐるぐる渦巻いた。

学校のナプキンを生徒が使うことで損をするというなら、トイレに自販機を置いてくれたらいいじゃないかと思った。そして「生理になっても保健室に頼るな、血染めのスカートも下着も密やかに自分でなんとかしろ」と公言し、「学校は子どもを管理する場であって守る場ではない」と突き放したらいいのに。

内心不満タラタラで同級生にそっとナプキンを渡した。それもなんだか変だと思った。何も悪いことをしていない、汚いこともしていない、自分自身にすら制御し得ない、自我に帰属するだけの肉体の気まぐれな出血のせいで、こんなに遠慮し額に脂汗を浮かべなくてはいけない女の十字架は重いと思った。

その重さを、その苦しみを語ろうとすれば封じ込まれるのが社会の常で、年上の女たちは往々にして「自己管理しろ」と嘯き「忍耐が女の美徳」みたいなくだらない価値観を押し付けてきた。いやな時代だなと思ったが、歴史を繙けば女が人間扱いされないのは別に今に始まったことではないらしかった。

でも最近、《生理の貧困》という言葉を耳にすることが増えた。言い出した人たちは無数の毀誉褒貶に曝されたことと思うから、その勇気と努力を称えたい。だれかの問題提起によって語り部が増えるのはいいことだ、具体的な情報が広まれば、無駄に尊厳を踏み躙られる少女が減る。

生理になること、毎月何日間も痛みでのたうち回ること、ナプキンを生涯買い続けること、吐き気と不安とままならなさに耐えること、苦痛緩和のピルを飲む行為さえ詰られること、それらの濁流に否応なく取り込まれる女性の、状況が改善されますように。知識は人を救い、情報は社会を成熟させると信じて。

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Utekido

何者でもないシノワズリ趣味の80后です。毎夜衒わない文章を書いて、一日を終えています。 ご声援、ご支援、コメント、スキ、あなたのアクセス、ありがとうございます。